みやけエコネット

ノート三宅島で見た海の力、自然の力

- 水中写真家・中村征夫さんインタビュー -

神奈川の海に浮上した潜水艦?

体験記写真

ウミスズメ: バックしたままどこまでも逃げるので、ニラメッコするみたいにどこまでもくっついていった。さぞかし、しつこい奴と思ったことだろう。伊ヶ谷港 (撮影:中村征夫)

――中村さんが水中写真を始められたのは、どんなことがきっかけだったんですか?

中村 僕は二十歳までは写真にまったく興味がなくて、何でカメラマンになったのか不思議でしょうがないぐらいなんですけどね。最初僕は、立派なサラリーマンになろうと思って石丸電気に就職したんですよ。

――えー、そうなんですか。

中村 そう。手に職をつけたくて、石丸電気は商品がたくさんあるところだから修理部も充実していると聞いて、それで入ったんです。でも全然違う部署に配属になって、約束が違うなぁと思いながら1年間がんばったけども、なんだかすごく不安を感じてしまって。それで1年で辞めて、路頭に迷ったわけです。その後はいろいろやりましたよ。新聞広告を見てある建築会社の社長のお抱え運転手になったりね。

そのころに、暇さえあれば神奈川の海にシュノーケリングに行っていたんです。そのとき、子どものころ潜った八郎潟と海というのはまるで違うなって思ってね。本当に透明度がよくて、生きものが多いんだなって。海草が揺れるとお化けみたいで怖いし、アワビがいたりサザエがあったり。でも僕の潜りでは採れないんですよ。手がそこまで行くんだけど、5cm、10cmが届かないわけです。悔しい思いをしてね。

そうこうしているうちに、どんどん海にはまっていったんだろうね。海の躍動感というか、その不思議さに惹かれた。例えば、あんなに岸の近くなのに、目の前が全部イワシで覆われたりするわけです。イワシが動くたびにキラキラキラッって光ってね、きれいだなーと思うわけね。それで一瞬にしてUターンする、目にも止まらぬ速さで。あれは自衛隊でもできないだろうな、とか、いろんなことを比較するわけです、人間と。人間にはかなわないことがたくさんあるなぁって。 その不思議さにだんだんはまっていっているときに、目の前に潜水艦が浮上してきた。何でこんなところに潜水艦が上がってくるんだろうと思ったら、3人のダイバーだったんですよ。背中に消火器みたいなものを背負っていて、海の中に魚みたいに息をついて潜れるということをそのとき初めて知ったんです。しかも、カメラを下げているんですよ。「ええっ、写真も撮れるの?」って言ったら、「お前、何にも知らねぇな。そうだよ」って言われちゃって。それでもう、ドキドキドキドキしちゃってね。何でこんなにドキドキするのかなと思って、ひょっとしたら、自分はこれがやりたいのかなと思った。間違いないなと思ったのね、そのとき。

それで、わずかな貯金をはたいてウェットスーツとカメラを買った。潜る機材は高くて買えなかったから、シュノーケリングで同じ場所に行って、潜っては上がってまた潜ってってやってました。潜りの講習なんて受けていないから、潜るときはシュノーケル外してるんですよ。全部我流でした。写真も、上から下を見て撮ってばかりいるから、暗くて全然写っていなくてね。距離も目測だし、露出もマニュアルだしね。シャッターと絞りの関係なんて何も分からないし。しかしよくやってたよなぁ(笑)。

それで4年間自分でやって、その後雑誌社のプロダクションに入って。だけど未だに分からない。何で僕はカメラマンになったんだろうな・・・・・・。

一生の仕事

体験記写真中村 これも不思議なんだけどね、自分の一生やりたい仕事は何だろうなとずっと思っていたんです。これでもないあれでもない、運転手でもないなっていうのは分かっていたんですよ。ところがね、左手の先の方、手が届くようなわずか1、2m先のあたりにね、ぼーっと霞んでいるようなものがあるわけです。これ何かなぁっていつも思っているわけ。これが一生の仕事なんだろうなぁって。でもそれが何か分からない。それであれば、堕落しないで、まず日々一生懸命がんばっていれば、それに出会うかもしれないなって思って。それで真面目にやっていたわけですよ。 だけど、今年還暦になったけど、水中写真が一生の仕事だとはまだ思ってないんですよね(笑)。

――え、そうなんですか?

中村 うん、まだね(笑)。だってこの仕事やっていると何があるか分からないから。例えば、潜水病になっちゃうかもしれない、事故に遭うかもしれない、明日から潜れなくなってしまうかもしれない。そうなったらどうするんだって。だから、この先ももしかしたら、例えば秋田弁丸出しのコメディアンになっているかもしれないし(笑)。

――コメディアンですか?(笑)

中村 僕あの人に憧れるんですよ、綾小路きみまろさん。あの人おもしろい、最高だよね。ああいう、人を楽しくさせる仕事っていいなぁと思ってね。CD買いたいんだよね、綾小路さんの。

海で本当に危険な思いをしたこともあります。流氷の海に入るときは洋服の上にドライスーツを着るんですが、洋服の中には空気が入っているから、潜るときゅーっと締め付けられるわけ。でも胸にあるボタンをポンと押すと空気がすーっと入ってきて、それで痛みが取れる。それが、1回ボタンが戻らなくなって、だるまさんみたいに膨らんでしまったことがあるんです。それでドーンと上に上がってしまう。これは吹き上げといって、一番危ない。息を止めたら一発で肺が破裂してしまいます。だから息を止めないでワーッて吐いて、水の上に出た瞬間も空気を全部吐く。それを分かっていたから僕は助かったんです。

――それはおいくつぐらいのときだったんですか?

中村 流氷を撮っていたころだから、10年ほど前ですね。若いころ、雑誌の仕事で広島の呉の海軍兵学校に潜水艦の脱出訓練を撮りに行ったことがあるんです。それで知っていたんですよ、息を止めちゃいけないって。あの撮影に行っていなければ、やられていたかもしれないです。

――そういう危険な目に遭った後は、もう海には入りたくないという気持ちにはなったりしないですか?

中村 一度それを思ったのは、奥尻島で津波に遭ったときですね。あのとき、命は助かったけども、カメラから何から全財産なくなったから。奥尻のあとすぐに九州に撮影に行く予定で、たまたま全部持っていっていた。そこで、昔のニコノスというカメラ以外きれいさっぱりなくなったから。そのとき、海はもう辞めようかと思ったのね。なぜ辞めようかと思ったかというと、ものすごく海を憎んだんですね。自分の財産がなくなったからではないんです。奥尻の人たちって、優しくてものすごくいい人たちなんですよ。その罪も何にもない人が199人も亡くなった、同じ集落で。あれでね、何やってくれるんだよ、海は、と思ってしまったんです。それでこの仕事から足を洗おうと思いました。

でも、なぜ僕があの集落で助かったのか、死ななかったのかって思ったんですね。1秒2秒遅ければ僕もやられていたから。靴履こうと思ったら、「履いてる場合じゃない!」って怒られて裸足で逃げたんだけども、履いていたら死んでいました。津波がもう真後ろに落ちたから。それで、何で助かったのかといろいろ考えてみたら、まだまだやり残していることがたくさんあるからかなって。海はきれいで神秘的なだけではなくて、厳しく牙を剥いて襲いかかることもあるんだっていうことをちゃんと伝えなさい、だから自覚しなさい、と言われたのかなと思ったんですね。それからまた、レンズ1本、マスク1つと揃え始めたんです。

体験記写真

イバラカンザシの群生: 一ヵ所から動けない生きものたちは、もっとも土砂の影響を受けやすい。仲間とともに危機を乗り越えた自信で、満ちあふれているようだ。大久保浜(撮影:中村征夫)

次のページへ  1  | 2  | 3  | 4  | 5 |

みやけ探検隊トップに戻る