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地球の息吹を見せる島~アルピニスト野口健の三宅島体験記~

さまざまな自然の姿、人々の暮らし

Image島を一周すると、現在の三宅島ならではの様々な顔を見ることが出来た。大路池のように、比較的古来の森が残っている深い森、2000年の噴火のガスで大きなダメージを受けた森、そこから再生を始めている森。車で走ると、山肌に白い木が立ち並んでいるところが至る所にある。背の高い杉などの木はガスに弱く、立ち枯れてしまったのだ。白樺のようできれいだな、と思ったりもしたが、初夏なのに葉を付けない裸の木が林立している風景はやはり異様だ。助けてくれ、と空に差し出された無数の手のように延々と広がっているのだ。この立ち枯れた白い木々がもし葉を付けていたら、本当に深い森が目の前に広がっていたんだなぁと、不思議な気分になった。背の高い木が枯れてしまった為に地面の日当たりが良くなったので、ガスに強い植物は今ものすごい勢いで成長していた。

それにしても、車から降りてはいけない立ち入り規制区域とそうではない区域、標識や目印で分かれているわけではないので、外から来た一般人には分かりにくかった。被害の様子が色濃く残っているところで写真を撮るために車の外に出ようとすると、大抵降りるのを許されない。ここは出ちゃダメ、ここは良いと神業のように見分けていた山本さんは、三宅島の木の一本一本まで知り尽くしているのだろう。

Imageお昼ご飯は、海の家のような爽やかなお店で、店主にお願いをして南国チャーハンと冷やし担々麺のセットを食べた。両方ともピリ辛味で、これがとても美味しい! 大満足で店を出ると、そのお店の程近くに1983年の噴火で溶岩流に襲われた阿古小中学校跡があった。窓枠はひん曲がり半分以上溶岩に埋まった校舎を見て、この状態でよく死傷者が0だったなと、当時の村人の連帯力に感心してしまった。この学校も貴重な噴火の証言者なので、一般の観光客も中まで入ってみられるように整備をしてほしいものだ。

三宅島はいたるところで復興のための工事が行われている。そんな工事や森の整備をしている人たちの横を通って車は山を登り、晴れていたら今回の噴火で大きく変わった雄山の山頂が見えるという所に連れて行ってもらったのだが、生憎の小雨模様。厚い雲に覆われて全く見ることが出来なかった。近くには、災害前は牧場だったという広い敷地が広がり、泥流で屋根近くまで埋まってしまった山小屋のようなトイレもあった。このトイレもそうだが、作ったばかりの家や建物が、ほとんど使わないまま使えなく、放置しなくてはいけない気持ちは、どれほどに苦しいものなのだろう。家を新築したばかりだったおかげで、帰島してから家の被害が古い家の人よりも少なかった、という人もいた。なるほどと思ったが、今も立ち入れない地域の人にとっては、それ以前の大きな問題がある。

Image泥流に襲われ鳥居の頭だけがかろうじて見えていた椎取神社も行ったが、今でも稀に発生するという泥流の対策の為に、島の至る所に白いコンクリートで出来た泥流の誘導路みたいなものが海まで通っていた。また、泥流を山の上の方で食い止め人家まで行かないようにする為に、万里の長城のような塀も作られていた。作りはじめた当初は本当に必要で被害を少なくする為に必死だったのだろうが、泥流がほとんど発生しなくなった今日でも止められない工事をみていると、公共事業の性を目の当たりにした気分だ。森を切り裂く白いコンクリートの道。それ以前にやることはないのだろうか。立ち入り規制区域の家々からは、一時帰宅の時に記されたのであろう、悲痛な叫びが木霊していた。

島の一カ所一カ所をたっぷり堪能したため、一周が終わる頃には日も暮れていた。終わり近くに、ハマカンゾウが咲き乱れる海岸で一休みをした。近くをダイサギが悠然と歩き、大部慣れた手つきで双眼鏡をあやつりながら、詳しくなってきた三宅の植物や鳥を観察していた。そこで山本さんの驚異的な目が、荒れた海の波の合間を泳ぐ亀の頭を発見。時折ピョコっと現れる亀の頭は、波なのか亀なのか分かりづらく、双眼鏡でみてもなかなか見つからない。それを肉眼で見つけるとは、目に生き物を感知するセンサーでもついているのだろう。

体験記写真

ハマカンゾウとダイサギ

ダイバー野口健?三宅島の海に潜る!・・・つづきはこちら
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