三宅島の火山活動の歴史
山本 裕・文
三宅島は、約1万年前から15万年前(または、10数万年前から数10万年前)の海底噴火によって生じた火山島で、伊豆大島と並んで火山活動が活発な島です。三宅島を形づくっている活火山「雄山」は2000年噴火以前には標高814mあり、海面下には約300~400mの山体があります。三宅島の人々は大きな火山の中腹に暮らしていることになります。島の随所に噴火口跡や溶岩の流れた跡があり、独特の火山景観が見られます。三宅島を構成している岩石のほとんどは、黒い色をした玄武岩質であり、溶岩原のごつごつした様子や黒い砂浜は三宅島を特徴づけるものです。
約7千年前から1万年前には大規模な噴火があり、山頂が陥没し、最初のカルデラである「桑木平(くわのきだいら)カルデラ」が出来ました。このカルデラは、標高300mから400m付近にあたり、その概観は今でも島の北西部にある「伊豆岬」から見ることができます。その後、この桑木平カルデラ内で噴火が続き、噴出物でカルデラ内は埋め尽くされました。
約2200年前から2500年前には桑木平カルデラ内で再び大きな噴火が起き、今回の2000年噴火で大きく陥没した「八丁平(はっちょうだいら)カルデラ」が生成したと考えられています。
歴史書に記録が残っている火山活動としては1085年が最初で、以来、今回の2000年噴火で15回になります。最近では、1940年、1962年、1983年に噴火しています。この3回の噴火では火山性微動が始まって短時間でマグマが地表に流出し、短期間で火山活動が終息することや、粘性の低いマグマが山腹の地層の弱い部分から流れ出て、割れ目噴火をするなどの特徴がありました。
1983年に起きた噴火では島の南西側の山腹からマグマが流出し、島の西側にある阿古地区の人家約400戸が焼失し、島の南部にあった新澪池が周囲の照葉樹林とともに失われました。1983年の噴火により環境が影響を受けた面積は約8.4km2にもなります。1983年噴火の野鳥への影響については、特に島の南側の新澪池から大路池入口までの地域について、植生被害や火山灰、噴石などの量を基準にして被害度ごとに野鳥の種類と個体数が記録されています。被害度が大きくなるにつれて観察種数、個体数とも減少し、特に影響を受けたのはヒヨドリとアカコッコで、メジロ、ホオジロ、ウグイス、コゲラ、コジュケイ、イソヒヨドリ、アオジ、ヤマガラなども被害度の増加とともに減少していることが報告されています。
2000年6月26日に始まった2000年噴火は、7月になってからも継続し、山頂にあった八丁平と呼ばれていた草地は大きく陥没し、直径1.6km、深さ約500mもの巨大な火口ができました。新しく出来た火口からは粒子の細かな火山灰が大量に噴出し、泥流が発生するなどして森林や住居への被害が出ました。2000年9月以降は、火口から火山ガスが大量に噴出し、森林で樹木が枯死するなどの被害が出るようになりました。火口からの火山ガス量は2000年12月頃には1日あたり2~5万トンと世界的にも類を見ない程の量で、この火山ガスのために、住民は長い間島を離れての避難生活を余儀なくされました。その後、火山ガスの量は減少傾向にあり、2002年12月時点で1日あたり約1万トン、2004年9月時点で1日あたり数千トンにまで下がってきました。2005年2月には住民の避難指示が解除され、2005年5月から観光客の受け入れが始まりました。
参考資料
樋口広芳(1984):火山島の自然環境の変遷と、その人為との相互作用に関するシステム科学的研究(研究代表者 浜田隆士).「文部省特定研究報告書」.76-84.
三宅地区中高一貫教育理科部会(2003):「三宅島の自然と2000年噴火 ・・・三宅島火山を理解
するために・・・」
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